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    恥の文化
    最近、時代劇的な作品を見る機会が続いた。

    先日も、たまたま見た時代劇で、武士が相手を刀で斬る時に
    「殺す理由」を宣言して「挨拶」してから斬っていたのを見て、

    人を殺すのは絶対良くない事だけど…

    逃げる人の背中に向けてピストルを撃つのを見るのとは違う、
    潔い「かっこ良さ」を感じてしまった。

    もちろん、西洋にも西洋独特の「かっこ良さ」はあるが、
    日本人だからこそ理解できる類の「かっこ良さ」が、そこにあるような気がした。


    日本は「恥の文化」と言われている…と聞いたことがある。

    調べてみたら、アメリカの文化人類学者R.ベネディクトが
    『菊と刀』(1946)のなかで使った用語だった。

    「恥の文化」とは、

    他人の感情やおもわくと、自分の体面を重視する「他律的」な文化で、

    恥をかかないとか,恥をかかせるとかいうように「恥」の道徳律が
    内面化されていて、この行動様式が日本人の文化を特色づけている

    …と書いてあった。(これに対して、欧米の文化は「罪の文化」)


    この文を読んで、確かに日本はそういう面もあるし、
    小さな頃から「恥ずかしいからやめなさい」などと言われ、
    「恥ずかしい事」はしちゃいけないことなんだと思って育ってきたとは思う。

    でも…

    私が親から学んだ「恥ずかしい」と、
    昔の人が考えていた「恥ずかしい」とは、少しニュアンスが違うのでは
    ないだろうか??

    ・・・と、時代劇を見ていて思った。

    というのも、武士の生き方を思いながら『恥』って字を思い出したら、
    「心」に「耳」って書いてある〜って、あらためて気がついたからだ。

    「恥」は、心に耳を傾けて自分の生き方に責任を持つこと、で
    「他」ではなく、「己」に向けられている。

    他人にどう思われるか?を指針として「恥ずかしくない生き方」をするのではなく、

    「自分に恥ずかしくない生き方」をすること。

    それが、日本の「恥の文化」だと、改めて思った。





    | - | 23:51 | - | - |
    平衡力
    最近読んでいた本に、

    何かを回避したいと思う気持ちが強ければ強いほど、
    それを受け取る確率は大きくなる

    そうであってほしくないものと積極的に闘おうとすることは、逆に、
    そうであって欲しくない事が人生に起こるよう全力を尽くすことになる

    …と書いてあった。


    今日、食事したレストランで、ありえないくらいの大喧嘩をしているカップルを見た。

    席を立ち、ひとり帰ろうとする男性に向けて、女性がテーブルの上の料理を
    まるでキャッチボールのように次々と投げつけ、周囲には麺や汁が飛び散って…

    さらに、店の外で殴りあい、投げ飛ばす格闘を繰り広げた末、男性は女性を
    置いて帰ってしまった。

    あんなヒートアップあいたシーンを生で見たのは始めてだったから、
    びっくりしたけどたらーっ

    きっとあの女性も逃げ帰った男性も、あんな大喧嘩はしたくなかったに違いない。

    あそこまで大喧嘩するまでのプロセスに、きちんとまっすぐに向き合う事を避け、
    ごまかしたり、逃げたりしてきた何かが二人にはあるのではないか?

    などと、詮索してしまったが…


    先ほどの本に、どんな「思い」でもその「思い」が強くなればなるほど、
    その強い、過剰なエネルギーに対して、逆のエネルギーでバランスを取ろうとする
    平衡力が働き、

    その結果として、「思い」の逆のものを受け取ることになる。

    逆のものを受け取らないためには、「思い」のエネルギーを引き下げる事が大切だ…と書いてあった。


    その「思い」がポジティブだろうがネガティブだろうが関係なく、
    大切なのは「強すぎない事」…らしい。

    何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、ということだろう。


    レストランのテラス席にいた私達は、事の一部始終を外から映画のように
    見ていたのだが、

    お金を支払いにお店の中に入っていったら、友人が、他のお客さんや店員さんが、
    必要以上に笑って和やかな空気を出している感じがすると言った。


    店の中の緊張した空気に対して、「他の人がみんな笑う」という平衡力が働き、
    店内のエネルギーがバランスをとっていたのかもしれないな〜と思った。



    | - | 22:55 | - | - |
    上海国際映画祭
    以前、このブログでも紹介したことがある友人、映画監督のAMIY・MORIさんの
    初監督作品「恋極星」が、第12回上海国際映画祭で、アジア新人映画部門作品賞
    にノミネートされたました。ニコニコ

    amiyさん、おめでとう♪

    amiyさんは、もともと、世界を舞台に活躍している人気の写真家で、
    彼女の撮る写真には、まるで絵画のような独特の世界がある。

    そんな素晴らしい感性を持った彼女が、今度は映画という新しいフィールドに
    表現の場を移し、その第一弾でいきなり新人賞にノミネートされた。

    この作品を撮るまでに、彼女が歩いてきた長い道のりを知ってるだけに、
    とても嬉しい。ホント〜〜〜に、良かったね、って思う。

    誰かに認められるために頑張ってきた訳じゃないと思うけど、
    その事を誰かに認められたとき、やってきてホントに良かった、
    と実感するものではないか、と思う。


    オーラソーマのボトルに「Wisdom Bottle(叡智のボトル)/エルドラド(黄金郷)」
    という上下がゴールドのボトルがある。

    ボトル名の「エルドラド」とは、膨大な宝があるといわれた伝説の街のことで、
    昔、人々は宝を手に入れるためにこの街を目指したと、伝えられている。

    でも…

    黄金を手にするために、遠い街を目指す必要などなく、
    本当の宝は「独自の才能や価値」として「自分の内側にある」…ということから、

    このボトルには、「過去から培われた知恵と価値を、自分の内側に見つける事」
    というメッセージがある。

    「自信を持つこと」や「自分の価値を認める」ことが出来ないときに
    2本目に選ぶことが多いボトルだ。

    「自分の価値」を「自分で認める」って、なかなかムズカシイ。

    でも、他人と比べたり、競争しなければ、以外と簡単に「自分にしかないもの」
    を見つけることができるかもしれない。

    それぞれの人の持つ「独自の才能」は、一流校で優秀な先生に教えられたり、
    素晴らしい師匠に学んだから得られるものではなく、

    内側に「もともとあるもの」だ。

    それを見つける「カギ」は、「それ」が「眠らなくても平気なくらい好き」
    という類のものではないかと思う。

    amiyさんも写真を誰かから学んだ訳ではない。
    彼女の独自の才能だからこそ、世界で認められる場に招かれたのだと思う。


    「ないもの」を身につける為の努力したり、
    「出来ない事」を出来るように頑張る事よりも、

    「私にしかないもの」に気づいて、それを生かした人生を送りたいと思う。

    「私にしかないもの」

    それは、「人が持ってるもの」とはかぶらない、その人だけに与えられた「宝物」。


    AMIY MORI ホームページ
    第12回上海国際映画祭 公式ホームページ
    | - | 13:28 | - | - |
    ユニティの時代
    少し前に「アトランティスの叡智」という本を読んだ。

    この本の中に、

    (私たちの住む地球は)1万3千年前から今まで、
    「分離」と「二元性」のサイクルの中にいる。

    と書いてあった。

    「分離」と「二元性」

    陰と陽。
    天使と悪魔。
    内と外。

    今、私達の住む地球は、さまざまなものの関係が2極に分けられる
    「分離」と「二元性」のエネルギーの影響を受けているらしく、
    その上に住む私達もそのエネルギーの影響を受けているらしい。

    「分離」のエネルギーとか言われてもピンときにくいが・・・
    長い年月、いたるところで競争や争いが絶えない所を見ると、納得できる。

    でも、
    この本によると、

    「分離」のエネルギー期間が2011年の冬至辺りで終わり、
    次は、「ユニティ」という「合一」のエネルギーの新たなサイクルに入る、

    というような事が書いてあった。

    (ちなみに、1万3千年ごとに、この「分離」と「ユニティ(合一)」が
    交互に繰り返されるらしい。)

    この「ユニティ」にシフトする際、これまでとの違いに多くの人は「葛藤」を抱え、
    その「葛藤」が、場合によっては「戦争」などにつながる可能性もあるそうだが、
    日本人はより確かにシフトすることができる…というようなことが書いてあった。

    日本は古来から、周囲や共同体との調和を、個人より優先する「和」を尊ぶ
    精神を引き継いでいて、バランスとハーモニーのコアの価値観を内側に
    持っているから、らしい。

    たしかに、

    日本人は、「違い」にこだわらず「受け入れる」事がとても上手な民族だと思う。

    クリスマスに教会に行って、お正月に神社に行くとかはあたり前で
    いろんな国のお祝いや行事もどんどん取り入れていける柔軟性がある。

    あらゆるものに神が宿り、祖先の魂に対しても生きてる人に対するのと同じ
    レベルでその存在を敬う。

    生まれ変わりを認めず、キリストだけが唯一の神さま…など、制限の多い
    宗教心を持つ国に生まれ育っていてはこうはいかなかっただろうと思うくらい、
    柔軟な考えを持っている人が多い国だと思う。

    たとえば、チャラチャラした格好をしているような若者達でも、その多くの人には
    根底に流れる日本人特有のスピリチュアリティが、ちゃんと引き継がれて
    いるのではないかと思う。


    2011年冬至といえばもうすぐだ。

    「分離」から「ユニティ(合一)」に地球まるごとシフトする。

    何のことだかピンとはきにくい話だが、

    「争い」や「競争」の時代を終え、
    「共存共栄・分かち合い」や「愛と調和」の新たな時代がやってくる

    ということは、オーラソーマの授業でも習った。

    1万3千年ぶりに地球が迎える新たなエネルギーは、
    日本人が大切にしてきた「和」のエネルギーでもある

    そう思ったら、この変化の時に日本人に生まれたことが
    とても特別なことのように思え、

    とてもワクワクした。



    | - | 21:56 | - | - |
    「きずく」と「きづく」
    この前、ふと…

    「良い関係」を「築く」ということは、

    その「関係」に「気づく」こと

    …という考えが頭に浮かんだ。


    「きずく」と「きづく」

    辞書には、

    「築く」は、「ある行為を重ねて、しっかりとしたものを作り出す」こと。
    「気づく」は、「その方面に意識が向いて、突然物事の存在や状態を知る」こと。

    と載っていた。


    「時間をかけて良い関係を築く」というのは、ここ何年かの私のテーマでもあった。

    時間をかけてしっかりとした「関係」を「築く事」は、とても大切で素晴らしい事
    だと思っていたから、スタッフや友人などとの関係もきちんとと「築いて」いこう、
    と思っていた。

    でも、

    もしかしたら「人間関係」というのは「築く」ものではないのかもしれない。。。

    と、ある瞬間感じた。

    「良い関係」の人とは、こつこつ「何かよい事」を積み上げなくても、
    例え大喧嘩をして絶交宣言したとしても、

    また、何かの「きっかけ」に助けられて「くっついて」しまう。

    逆に、

    丁寧に「よい事」を重ねていたつもりでも、途切れてしまう関係もある。


    「良い関係」という言い方では漠然としすぎているかもしれないが、
    「大切な関係」というのは、

    もともと「そういう関係の人」だということに、
    (時間を経て)あるとき「気づく」ことなのかもしれない。


    「時間をかけて築く事」は、どんな分野でも素晴らしい結果を生む大切な
    要素だと思う気持ちは変わらないが、

    「人間関係」に関しては「築く」ことより「気づく」ことの方が
    大切な事かもしれないな〜

    と、(あくまで個人の意見として)感じる今日この頃でした。


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